Womanワークワーク

手に職は人の10倍努力が必要

私は絵を描くのが好きで、幼い頃から将来はそうした職に就きたい、と望んでいました。しかし現実は厳しく、絵を描く、という動作は家族から見るとただただ部屋に篭り、ずっと机に向かって何時間も座っていて何をしているのか分からない不健康な行動と取られ、尚且つそうした才能職は一握りの選ばれた人間がなれる仕事で、世の中の人のほとんどは、したくもない仕事を生活する為に我慢して続けているんだ、とよく叱られていました。

 

絵の仕事というのはやり始めはお金になりません。時間の浪費の方が多く、認められるまでゼロ円です。製作時間は長いのに成果が出ないとそれは無駄になってしまいます。でも、最初から大成する人こそ稀であり、絵描きの多くはこうした下積みを得て生業としてきています。芸人や料理人と同じなのです。修行期間がいるのです。ですが、賞も何もとれないでいると、それはただのフリーター扱いなのです。私もそうした一人で、日々バイトをしながら作品を仕上げては提出し認めてもらえるよう努力していました。

 

実家は自営業でしたのでそれを手伝いながら、学校、家事、バイト、製作、と毎日2時間睡眠で奮闘していた10代の終わり。小さな賞を取れました。本当に小さかったのですが、自分の絵と名前が載り、編集の方からお話しをいただいた時には「やっと認められた」ととても嬉しく感じました。今は色々なアルバイトがあって自由も効くでしょうが、当時はできるものをとにかく選んでいました(アルバイト体験談)。

 

またそうした公共の雑誌に載り、賞金を得たことで家族が手の平を返したように私の行為を認めだし一目置き始めました。違和感を感じながらもこれが私のスタートの一歩目だと腹をくくり前にすすもとした矢先、大震災が起きました。家族友人みんな無事でしたが生活は一変しました。自分のことなどできません。震災後最初の1年目はまるで1日のようでした。2年目も生活費と半壊した自営業の店の借金を返済するのとであっという間に過ぎ。気づけば私はチャンスを掴む事を止めてから6年が経っていました。色んな生活、生と死を味わい。私の中で自分が歩む道に対して違う考えが生まれてきました。

 

好きだけで仕事を選んでいては何かが起きて挫折した時にその先の生活ができなくなる。

 

そう感じていたのです。

 

そして自分の気持ちはさておき、自分分析を始めました。私のスキルは何だろうか。私が能力を発揮できる仕事は何だろう。

 

いろいろ考えました。手に職ということも考えたり、Wワークというのも考えました。一時期はちょっと脱線した仕事も考えました。具体的に言うと水商売みたいなやつです。でもそれは一瞬で、まあそこまで考えが煮詰まっていたということです。メールレディという怪しい?仕事も考えたりしましたね。

 

後記
メールレディは別に怪しいわけでもなかったようです。でもイメージは悪いですよね。メールレディのまとめサイトより。

 

そうして思い当たったのがデザイナーでした。ですが20代後半に入った未経験女性の私を雇ってくれる、そんな会社があるわけはありません。同じ未経験なら若い方を選ぶでしょう。何故ならそうした専門職は修行期間が要るからです。

 

モノになるのに3年として。20の人と26の私では?私が経営者なら。考えなくても20の人を雇うでしょう。そこで、私は考えました。震災でゼロからのスタートとなり、失うものは何もない。得たいのは先の未来だけ。そうだ。100社受けて全部落ちたら諦めよう。そう思って片っ端から募集のかかっている会社へ応募しました。

 

当然、面接の質問では女性なので聞かれます。「結婚のご予定は?」「自分の年齢わかってるよね?」「みんな最初は頑張るっていうんだよ」色々言われました。ですが負けず、今まで描いていた自分の作品を片手に会社を巡りました。巡るにもお金がかかるので大変苦労しましたが100社受けるまでは諦めない、という気持ちで受け続けました。

 

26社目の時です。忙しい為人員がほしい、というその社長は自分がたたきあげの人でした。その頃私も面接慣れしてきていて、ほどよくリラックスして受けられるようになっており、色々お話しをした結果雇っていただけることになりました。

 

知り合いが既にグラフィックデザイナーで活動しており、その大変さは聞いていましたが、私は当時そこでパソコンをさわるのがほとんど初めて、という素人振りでした。毎日朝9時~夜は終電まで。経験と知識が足りないので休日も許可をもらって出勤して練習しました。お陰で1年ほどで色んなものを担当させてもらえるようになったのですが、その頃30手前でこの超過の生活は体がもたない、と本能が叫び警告を出し始めました。このままではいけない。そう思った私は転職を考えました。

 

年齢を重ねても体を壊すことなく続けられなければ意味がない。

 

そんな時、その時代の先端にWEBデザイナーという職種が生まれつつありました。私はそこへ飛び込みました。これもまた、未経験であったため実績をつむ為に30手前でバイトとして飛び込みました。今流行の携帯ゲームの先駆け、広告業務関係の仕事でした。そこでスキルを磨き業績を上げました。その後、その経験を買ってもらい大手企業のWEBデザイナーを経て、最終的には企画とデョレクションもまかなうようになりました。そうしてヘッドハンティングもしてもらい、結婚してもそのスキルのお陰で育児の合間でもイラストの仕事などコンスタンスにいただけています。

 

この経験から、自分はこの道が適職であったと感じます。そして、手に職を就けるとどこにいてもそのスキルで何かの仕事を得られる事に、また必要としてもらえることに誇りがもて感謝の心でいっぱいになります。

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